阿部亮のNGO世界一周!
番組では、日本国内や世界各国で活躍するNGO(国際協力に携わる民間組織)を紹介。
NGOの代表や現地スタッフの方々をゲストに迎え、「なぜNGOに入ったのか?」
「現地はどんな悲惨な状況なのか?」
「どんな支援活動をしているのか?その成果は?」
「NGO活動の現場で目撃した現実とは?」「NGOは世界をどう変えたいのか?」
などの疑問に迫りつつ、世界を舞台に頑張っている日本人の姿を、
パーソナリティ阿部亮が紹介していきます。
番組のパーソナリティ阿部さんが ミャンマーで寺子屋建設をはじめたのが2013年。
昨年12月は5校目となる寺子屋学校贈呈式を行ったのですが、その翌日 番組取材で
ミャンマーに30年以上にもわたって関わってきた日本人の方にお会いしました。それが 福岡県 田川市が本社の段ボールを作る会社「八谷紙工」の
代表 八谷章さんです。 阿部さんと (右)八谷章さん。八谷紙工 ミャンマー事業所
八谷紙工では ミャンマー人の若者が丁寧に手作業で紙袋を製作。
八谷さんが30年にもわたってミャンマーと関わるきっかけは 八谷さんの義理のお父様が ビルマ(現ミャンマー)で 隊を率いて戦って
そして戦争が終わり、義理のお父様が 昭和48年から 遺骨収集の活動をはじめたことにあります。
ビルマで戦い、亡くなった日本人兵士のために、義理のお父様は14~15回 ミャンマーを訪れていました。
その最後の訪問に 八谷さんが同行しました。その際、知り合ったミャンマー人のガイドさんから「日本の中古車を送ってくれないか」と頼まれ
日本に戻ってから、数台送ったところ なんと25万ほど儲かったとか!(笑)
当時から 日本の中古車は 人気で走っていたんですって。(今は 中国、韓国製も多いですが、日本の中古車、バスも多くヤンゴン市内で見られます)
さて・・・もともと福岡県田川市で段ボール会社を経営していたんですが、ミャンマーにビジネスの需要があると考え、ミャンマー人をビジネスパートナーにして
2002年に梱包素材ビジネスを立ち上げます。
しかし・・・そこはなかなかうまくは進まないもの。ビジネスパートナーだったミャンマー人が 沿岸漁業のエビの養殖に手を出して借金を背負うことに。
八谷さんは、儲かった利益で投資していた機械すべてを 軍政府にとられることになりました。
つまり、最初のミャンマービジネスが失敗に終わることに・・・。
「まあ、私が甘かったっていうことでしょうね~」とにっこり微笑む八谷さん。
そして、ここでミャンマーとの縁が切れたかと思いきや、まだまだご縁は続きます。
八谷さんは 日本ミャンマー友好議員連盟の1人であるんですが、
地元 福岡県の大物政治家に海外視察に行く際「ミャンマーにもぜひ関心をもってほしい」と
お願いをして、ミャンマーの政治家とつないでいくます。
日本で、福島第一原発の事故が起こり、自然エネルギーに注目が集まる中で、その時すでにミャンマーに長くかかわってきた八谷さんが
日本の政治家とミャンマーのエネルギー担当大臣の会議をセッティング。その後
日本の独立行政法人ジョグメックとミャンマーのエネルギー省でMOUをかわすことに成功させました。(ミャンマーは天然資源、石油が豊富にとれるのです。)
すごい人ですね!!
「私もやっと、日本とミャンマーをつなぐことが出来たとその時は思いました」感無量の様子の八谷さん。
まあ、その後もいろいろあった八谷さんですが、現在67歳!八谷紙工 ミャンマー事業所として今、まさに挑戦していることは?
段ボール事業では もうミャンマーでは勝てないと判断した八谷さんは 現在、ミャンマーの若い女性たちがもつ手提げの紙バッグを製作中。
「日本の女性がおしゃれな紙袋持って歩いてるでしょう。あんな風にミャンマーの若い女性たちにも持って歩いてもらいたいんですよ」と嬉しそうに話す八谷さん。
八谷紙工の機械です。
紙袋の紙にカラー印刷を。すべてが手作業。微妙な液体の配分で見事にキレイに印刷されます。