先週のこのブログで、アメリカ・ティラーソン国務長官のアジア歴訪が意味するものについて考えました。その後、ある防衛関係者と話す機会がありました。直前までアメリカのシンクタンクに出向し帰国したばかりというこの人物は、日本とアメリカの報道の違いについて驚いたそうです。曰く、アメリカで国際ニュースというと、かつては一に中東、二に欧州、三四がなくて五にアジアという感じだったのが、ここ最近はトップか2番手でアジア、それも北朝鮮についてが報じられていた。それが、帰国してみると国内ニュース、特に森友学園問題と築地市場の豊洲移転問題に終始している。北朝鮮情勢は日本の方が身近なはずなのに驚いたとのことでした。
さて、距離的にも近いだけに、朝鮮半島有事となれば様々な対応が必要で、だからこそ今議論すべきことも多岐に渡ります。先週は在留邦人の脱出について書きましたが、朝鮮半島から脱出してくるのは邦人だけに限りません。当然、南北朝鮮からの難民についても考えなくてはなりません。あまり報道されていませんが、これについては直近の国会でも議論されていて、今月9日の参議院・内閣委員会で和田政宗議員が質問しています。
<和田議員:こうした事態(筆者注:朝鮮半島有事で難民が海を渡ってくるような事態)が起きた場合、どのような対応計画になっているでしょうか?
警察庁松本警備局長:ご指摘のような事態が発生いたしまして、我が国に大量の避難民が流入した場合でございますが、基本的には関係機関が役割を分担いたしまして、まずは漂着した人たちの身柄の保護、そして、その人たちへ水や食糧の支給、さらに、上陸の手続き、そして収容施設を設置し、またそれを運営すると、そういった手順により対応を進めることになると想定しております。警察といたしましても、このような対応の各段階に置きまして、たとえばですが、避難民の滞在する施設の警備、また、避難民が起こす不測の事態への対応、避難民の人たちの輸送の支援などに当たることになると考えております。>
この答弁で分かる通り、避難民対応に関してはすべきことは政府内で明確になっているようです。問題は、数。この内閣委員会の答弁では、"大量の"という表現でしたが、これがいったいどれだけの数になるのか?もちろん、有事の規模によっても変わってくるものですから一概に言えるものではありません。ですが、かつて何度か「10万人~15万人の難民が流入すると日本政府が分析している」と報じられています。
<日本政府は03年ごろ、「10万~15万人が日本上陸」と試算したことがある。>
この数字はどうやら北朝鮮からの難民の数を試算したもののようですが、これに対する備えが出来ているのか?1994年の北朝鮮核開発疑惑の時には詳細な検討がなされたことがその後の報道に出てきています。
<〈帰還事業により、北朝鮮には約九万三千人の在日朝鮮人と家族がいた。死亡者を差し引いても、二世、三世を加えると、日本人を含む北朝鮮帰還関連者は少なく見積もっても十万人と推定され、これに近い数が避難民として到来する可能性が高い〉
そしてこう結論付けた。
〈法治国家の建前からすれば現行法の枠内で対応すべきではあるが、大量の避難民を不法入国者として身柄を拘束し、一時庇護(ひご)上陸の許可を与えることは、当局の陣容、施設をもってしては到底不可能である。当初は超法規的に事実上、上陸させる〉>
現下の想定される朝鮮半島有事の際には、ここにさらに韓国在留の外国人(日本人を含む)や韓国からの難民も押し寄せて来るでしょう。アメリカとその友好国国籍の避難人数の試算については記事がありました。
『避難対象の民間人は22万人、在韓米軍の韓半島有事の疎開計画が明かに』(東亜日報 2012年5月21日)https://goo.gl/SNvG3P
<北朝鮮が全面的な南侵攻撃に出るなどの有事の際、在韓米軍は韓国に滞在している米国と友好国の市民22万人を即時避難させる計画を持っていることが明かになった。>
これだけで押し寄せる避難民数は30万人~40万人に膨れ上がります。ここに韓国からの難民が押し寄せれば、50万を超える規模を一時的にせよ日本は受け入れる必要が出てくるわけです。50万人というと、栃木県宇都宮市や愛媛県松山市といった県庁所在地クラスの規模。政府内ではある程度対応プランはあるんでしょうが、これだけの人数が入ってくれば生活環境が一変することがあるかもしれません。それに対して国民レベルで受け止めるだけの意識醸成が出来ているとは到底思えません。上記内閣委員会での答弁でも、時間の関係もありさらなる突っ込んだ議論にはならないまま終わってしまいました。
最後に、かつて朝鮮戦争の時に韓国からの難民にどう対応したのかを紹介します。
<さらに、朝鮮戦争では、米国人や日本人の避難の問題とは別に、韓国人の避難も課題になった。第一に、戦乱を逃れた密航者が増加、距離的に近い壱岐、対馬、北九州、関門、日本海側の各地域が上陸地となった。検挙者数は、2772 人(1950 年)、4425 人(1951 年)であったが、逃亡などを含めると実際の数はさらに多かったと思われる。その要因は、戦乱回避、徴兵拒否、生活苦などのほか、特殊な任務を帯びて密入国するケースも見られたと言う。検挙された密航者の多くは、長崎県の外務省大村入国者収容所に収容され、のちに強制送還されたのである。>
今も入国者収容所はありますが、全国に2か所(大村と牛久)。50万という膨大な難民を受け入れるには規模が小さすぎます。東日本大震災時も仮設住宅を発災2か月で3万戸整備することが目標に掲げられましたが、実際には2万7千戸あまりでした。あの4畳半2部屋の仮設に5人ずつ詰め込んでも、ざっくり試算して2か月で15万人...。仮に日本列島が無傷であったとしても、この難民対応にリソースを取られてしまうと経済的なダメージを受けるでしょう。何しろ、対応を迫られる規模が東日本大震災時以上になる可能性があるのです。今の日本経済の余裕のなさで受け止めきれるのか?難しいとすれば、第三国に出国させるのか?しかし、それでは国際的な非難を浴びるかもしれません。ならば、今から少しずつでも準備をしておくのか?それを決められるのは、主権者国民。および、その主権の束を背負った国会議員だと思うのですが...。