スポーツ伝説

9月26日~30日の放送内容

【サッカー 松木玖生選手】

高校時代、強豪・青森山田高校で入学直後からレギュラーの座をつかむと、全国高校サッカー選手権で5試合に出場して4得点。2年生で早くもエース格の10番を背負って選手権5試合で2得点を挙げ、2年連続でチームの決勝進出に大きく貢献しました。しかし青森山田高校は決勝で敗れ、2年連続準優勝と苦渋をなめますが、3年生で迎えた第100回選手権大会で見事なパフォーマンスを披露。キャプテンマークを腕に巻いた松木選手は、全ての試合にスタメン出場し、準決勝までに3ゴールを挙げ、3年連続で決勝戦へ進出します。そして今年1月10日、三度目の正直となる決勝戦でもダメ押しとなるチーム3点目を決め、悲願の全国制覇を果たしました。高校3年間で初戦から決勝までの出場し得る選手権の全試合でプレーしたのは史上2人目の快挙で、通算10得点は歴代3位タイ。青森山田は夏のインターハイ、高円宮杯と合わせて「高校サッカー三冠」を達成し、松木選手は“選手権の申し子”と呼ばれ、有終の美を飾りました。
 FC東京に入団した松木選手は、選手権決勝からおよそ1ヵ月後の2月18日、今シーズンのJ1開幕戦でスタメンデビュー。高校出身選手の開幕スタメンは、クラブでは史上初の快挙でした。このデビュー戦は負傷により途中交代となりましたが、J1の舞台でも臆せず、堂々たるプレーを見せる松木選手は、高卒1年目でレギュラーの座を確保。5月3日には先発10戦目のアビスパ福岡戦で、記念すべきJ1初ゴールをマークし、順調なスタートを切りました。さらに、19歳にもかかわらず、今年開催された23歳以下のアジアカップに“飛び級”で代表入り。タジキスタン戦では先制のボレーシュートを決めて、グループリーグ突破に貢献すると、オーストラリアとの3位決定戦では、勝利を決定づける3点目のアシストを記録しました。

  
 
【サッカー 藤田譲瑠チマ選手】

 2002年生まれ、ナイジェリア人の父を持つ横浜F・マリノスの藤田選手は、中学生の時に東京ヴェルディのジュニアユースへ加入。18歳でヴェルディのトップチームに昇格を果たします。20年はコロナ禍のためJ2の試合が4ヵ月も中断。この間、サッカーに対する姿勢を見つめ直した藤田選手は、再開後、過密日程になったJ2リーグ戦で42試合中41試合に出場。チームに欠かせない戦力として一気にブレークしました。昨年はJ1・徳島ヴォルティスでプレーし、28試合に出場。今シーズンから横浜F・マリノスに移籍すると、ミッドフィルダーとして攻守両面で積極的にボールに絡み、前半戦を首位で折り返す原動力になりました。
 藤田選手は、2年後のパリオリンピックを目指すU-21日本代表の中心選手としても活躍中で、U-23アジアカップにも出場しました。会場のウズベキスタンは移動に長い時間がかかり、気温も連日30℃超。そんな中、藤田選手は6試合すべてに出場。うち4試合はフル出場を果たし、チームを3位に導きました。この活躍が評価され、東アジアナンバーワンを決めるE-1選手権で初めてA代表でプレーした藤田選手。最終戦の韓国戦では、同じF・マリノスの選手たちと得点につながる息の合った連携プレーを見せ、3対0で快勝。優勝に貢献しました。

     
 
【サッカー 相馬勇紀選手】

 名古屋グランパスの相馬選手は、東京・調布市出身。小学2年生の時、地元・味の素スタジアムで行われた東京ヴェルディ対名古屋グランパス戦でエスコートキッズを務めた時、自分もいつかここでプレーしたいと、サッカー選手になる夢を抱きました。東京オリンピックが決まった2013年9月、その時から心の中で出ると思っていたという相馬選手。オリンピック代表に選ばれ、夢を叶えた1次リーグの初戦・南アフリカ戦は、味の素スタジアムで開催されました。相馬選手は後半から途中出場し、それから間もなくに久保建英選手の決勝ゴールが飛び出し、日本は1対0で勝利。相馬選手は地元で勝利を味わいました。その後、日本は決勝トーナメントに進出し、準決勝でスペインと対戦。相馬選手は途中出場し、何度もスペインゴールをこじ開けようと試みましたが実らず、延長の末、日本は0対1で敗れて決勝進出はなりませんでした。
 さらに先発出場した3位決定戦もメキシコに敗れ、惜しくもメダルは獲得できませんでしたが、今度はA代表としてワールドカップを目指すという新たな目標ができました。今年7月、日本で行われた東アジアナンバーワンを決めるE-1選手権で日本代表に選ばれた相馬選手。初戦の香港戦ではフリーキックから先制点を決め、最終戦の韓国戦では鮮やかなヘディングで先制ゴール。周りの選手と呼吸を合わせて絶妙なコンビネーションを見せたり、ドリブルで相手を崩して試合の流れを変えるなど、日本の優勝に大きく貢献。大会MVPに選ばれました。

  
【サッカー 町野修斗選手】

 23歳になったばかりの湘南ベルマーレ・町野選手。大阪の履正社高校から横浜F・マリノスに入団したのが2018年18歳の時。子どもの頃から目標としていたJリーグの舞台でしたが、当初は練習でも満足のいくプレーができず、1年目は試合出場ゼロ。人生で一番の挫折と振り返る苦い新人時代を過ごしました。翌年、出場機会を求めてJ3のギラヴァンツ北九州へ移籍。恵まれた環境のJ1と違い、厳しい環境に身を置いたことで、町野選手は必死にプレーする感覚を取り戻しました。移籍1年目に8ゴールをマークし、北九州のJ3優勝に貢献。続く20年も昇格したJ2の舞台で7ゴールを決め、J1・湘南ベルマーレへの移籍へと繋げたのです。移籍2年目の今シーズン、5月の神戸戦で2ゴールを決めた町野選手は、次の川崎戦でも2ゴール。J1のリーグ戦で2試合連続2点以上を決めたのは、クラブ史上2人目の快挙でした。
 2試合連続2ゴールを含め、7月までに8ゴールを決めた町野選手は、その決定力を買われ、日本代表に初めて選出。東アジアナンバーワンを決める大会、E1選手権に挑みます。大会前「3ゴール以上決めたい」と宣言した町野選手は、初戦の香港戦に先発出場。1対0で迎えた前半20分、ヘディングで代表初ゴールを決めます。さらにこの試合、後半にも左足で2点目をマーク。代表デビュー戦でも2ゴールを決める華々しい活躍を見せました。その後、日本は1勝1分けで最終戦を迎え、優勝をかけて韓国と対戦します。試合開始早々、町野選手は強烈なオープニングシュートを放ってチームを盛り立てると、2対0で迎えた後半27分、優勝を決定付けるダメ押しの3点目をマーク。有言実行となる「大会3ゴール」を達成し、日本の優勝に大きく貢献しました。



【サッカー 中島大嘉選手】

 身長188㎝の長身を生かしたヘディングが武器の北海道コンサドーレ札幌・中島選手。プレースタイルがマンチェスター・シティの世界的フォワード、アーリング・ハーランド選手に似ていることから、“和製ハーランド”とも呼ばれる将来期待の怪物候補です。中島選手の父親は、長崎の名門・国見高校のサッカー部出身。同じくOBで、J1の通算最多ゴール記録を持つ大久保嘉人さんのひとつ先輩にあたります。中島選手の名前は、偉大な大久保選手よりも大きくなってほしいという願いを込めて名づけられました。その願い通り、中島選手は父と同じ国見高校に進学し、サッカー部へ入部。Jリーグの多数のクラブから誘いを受けるまで成長を遂げ、特に熱心に誘ってくれたコンサドーレに入団しました。
 プロ1年目は公式戦9試合の出場に留まった中島選手ですが、2年目の今年、怪物ぶりを発揮しつつあります。まずは3月2日、ルヴァンカップの柏レイソル戦で、途中出場ながら2ゴールを決め勝利に貢献。さらにその2週間後のセレッソ大阪戦で、またも途中出場から待望のJ1リーグ初ゴールを決めたのです。こうした活躍ぶりから、23歳以下のアジアカップに臨む若き日本代表に追加招集された中島選手。グループリーグの最終・タジキスタン戦の、後半アディショナルタイムにスピード感あふれる突破から華麗なループシュートを沈め、勝利に貢献しました。



来週のスポーツ伝説は……

10/3(月) バドミントン 山口茜選手
10/4(火) バドミントン 松本麻佑・永原和可那ペア  
10/5(水) バドミントン 渡辺勇大・東野有紗ペア
10/6(木) プロ野球 コディ・ポンセ投手
10/7(金) プロ野球 山﨑康晃投手

お楽しみに!!
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