今回のゲストは、
1992年のバルセロナオリンピック女子マラソンで銀メダル、
1996年アトランタオリンピックで銅メダルを獲得した、有森裕子さんです!
【有森裕子・プロフィール】
1966年、岡山県生まれ。
日本体育大学卒業後、実業団リクルートに押しかけ入社をする。
小出義雄監督の指導の下、才能を開花。
1992年、バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得し、
日本人女子マラソンランナーとして初めてのメダリストとなる。
4年後でのアトランタオリンピックでも銅メダルに輝き、レース後に語った
「初めて自分で自分を褒めてあげたいと思います。」という言葉は今でも”名言”として語りつがれている。
2007年東京マラソンの第一回大会を最後に、プロのランナーを引退。
現在は日本陸連の理事を務め、陸上競技の普及と発展に尽力している。
”走る事”が嫌い過ぎて学生時代、
サッカーのポジションでゴールキーパーを選んだという金子さん(苦笑)
その為、マラソンをする人の気持ちが全く分からないという事で、
同世代の有森裕子さんがマラソンの道を選んだ事に興味津々!
【有森裕子さんが、マラソンを始めるきっかけは何だったのか? 】
「私は、勉強や運動ができなくて、人より優れているものが無かったんです。
そこで、ある先生に『いっぱいできなくてもいい。一個でいいんだ』と言われて、
皆が選ばないような嫌がる事をやろうと思って、空きがある競技は無いかな?と探した時に、
当時、運動会で人気が無かった800メートル走を立候補したんです(笑)
それで、運動会まで必死に走ったり、トレーニングをしたら、運動会で一番になっちゃって。
そんな明確な評価が嬉しかったんですよね。」と語る有森さん。
しかし、それまで一番になるというような事が無かった有森さんは、
友人に「今回のは、まぐれじゃ」と言われてしまいます。
その言葉が悔しくて、さらにトレーニングを積んで
3年連続、校内で優勝するほどになった有森さん。
そこで得た自信が、女子マラソン・メダリスト有森裕子の第一歩だったそうだ。
そんな有森裕子さんが人生でターニングポイントになった言葉とは・・・?
『喜びを力に』
バルセロナオリンピックの時、
初めてのオリンピックで初めての海外でのレースだった有森さん。
当時、湾岸戦争などもあり、政治情勢が落ち着かない状態で、
やっとオリンピックに出場できたという選手を会場で何人も見かけたといいます。
「その選手達の頑張る姿を見て、
『やっと出場できた』という喜びとか表情が印象的で、すごくインパクトがあったんですよね。
私自身も出場するまでに色々とごたごたしていたので(笑)
『走れる』という喜びがすごく力になったんです。
『あぁ、人間って喜びを力に変えられるんだ』っていう事を感じて、
その時に私が思った言葉ですね。」
今回のゲストは、
1992年のバルセロナオリンピック女子マラソンで銀メダル、
1996年アトランタオリンピックで銅メダルを獲得した、有森裕子さんでした!