今月14日以降、大きな地震に相次いで襲われた九州・熊本地方。あれからおよそ10日が経った23日、南阿蘇村に取材に入りました。
1階部分が完全に潰れてしまったアパートや一軒家。踏みとどまった家も斜めに傾いています。駐車場には完全に横倒しになった自動車がそのまま放置されていて、平衡感覚がおかしくなるようでした。
地震の凄まじい爪痕がくっきりと残る被災地ではありますが、取材を進めると、そこから力強く立ち上がろうとする人々の雄々しい姿がありました。
14日の前震と16日の本震で2度、震度7の揺れを経験した益城町。東京で報道を見ていると、今も残る爪痕と打ちひしがれた被災者ばかりがクロー
ズアップされています。もちろん、あまりの被害に呆然と立ち尽くす人もいらっしゃいますが、一方で必死に前を向く人もいらっしゃいます。
この益城は農業が非常に盛んなところ。この時期はハウス物のスイカの出荷が始まる時期。ほかにも、ニンジンやミニトマトなど野菜の生産が盛んです。町内で大規模営農をしている農業法人・吉水農園の方にお話を伺うと、地震後すぐに畑に出たそうです。
「こうして仕事をしていると前向きになれる。悲嘆に暮れていても金にならないが、仕事をすれば金を稼げるからね。それに、野菜は生き物だから。一 日手を入れないだけでもダメになってしまう。あと、若いモンが地震直後から来てくれたから、俺たちもやらないと」
朝早くから農作業の準備をする吉水農園のスタッフの皆さん(24(日)朝・熊本県益城町)
野菜の出荷場や加工場は、建物自体は地震に耐えたものの、中の機械類がずれたりひっくり返ったり。まずはその再建から手を付けなくてはいけませんでした。水耕栽培のトマト向けには地下水などで水を確保。停電中は発電機を回して機械を動かしました。結果、すぐに10トン車を受け入れられるまでに復旧。今は、パートさんたちが戻ってくれば地震前とそん色ないレベルまで復旧できる態勢を整えました。
「地震で半年前に買ったばかりの愛車が潰れた若いモンに、下向かずに汗流して働いて、2台目にチャレンジしろって言っているんですわ」
若手の側もこれに応えて、
「次は高級外車を目指します!」
と力強く答えてくれました。東京で報じられる被災者のイメージよりも、彼らはずっと前を向いていました。
そうしたイメージのギャップは、被災弱者と言われる人たちへの取材でも感じました。ニッポン放送ではクリスマスの24時間生放送を中心に、目の不自由な人たちのためのチャリティキャンペーン、ラジオ・チャリティ・ミュージックソ ンを毎年行っています。私もこの特別番組でレポートするために、目の不自由な方を何度も取材してきました。その中で、東日本大震災の時にも大変な思いをしたという声を何度も聞きました。今回の熊本地震ではどうだったのか?熊本県視覚障がい者福祉協会の事務局長、茂村広さんにお話を伺いました。茂村さんご自身も全盲でいらっしゃいます。
まずは視覚障がい者の避難生活について。
「視覚障がい者は、混沌とした避難所の中での移動、トイレ、配給の受け取りなどに苦労します。ケアしてくれる家族などがいない視覚障害者には、特 に周りの助けが必要となります。」
そもそも、避難所となる小学校や地域の公民館は普段行き慣れているようなところではありません。そこへの移動だけでも1人では難しい。仮に行き慣れていたとしても、道路の状況は平時とは大違い。壁が崩れていたりマンホールが浮き上がっていたりして、いつものように歩くことは不可能です。健常者であれば目で見て迂回したりすることも可能ですが、視覚障がい者にそれはできません。災害が起こったときは、1人で避難することも難しいのです。茂村さんのところにも実際、近所の健常者の方に声をかけてもらって、避難所まで連れて行ってもらったという報告があったそうです。
そうしてたどり着いた避難所での生活。さらに、精神面でも特有の負担があるようです。
「周りの人に助けてもらってばかりでは精神的な負担も出てくる。同じ人間ですから、ありがとうございます、ありがとうございますと頭を下げ続ける という
のもみじめな思いにつながってしまうこともあるんですね。」
健常者であっても気持ちが後ろ向きになりがちな避難所生活。ハンデを負った障がい者であればなおさらです。しかし、スキルを活かして前向きに生活しようという方もいるそうで、こんなエピソードを紹介してくれました。
「視覚障がい者の中にはマッサージの技術を持つ人も多いので、エコノミークラス症候群になりそうな人に対してマッサージを施すことで自分も人を助 けることができた、という報告がありました」
ハンデを背負っていても前向きに誰かの役に立ちたい。そんなエピソードを聞くと、胸が熱くなる思いがしました。自分のできる範囲で、皆さん励ましあいながら復興に向けて踏み出そうとしているのです。
被災地ではそこここでこうした「共助」の姿勢を見ることができました。熊本市のボランティアセンターの取材をしたときのこと。東京の報道では「全国からボランティア希望者が集まった」とされていましたが、現場で取材した実感は「地元の人がとっても多い」でした。それも、中高生が多い。お揃いの学校指定ジャージを着て6~7人のグループというのが目立ちました。
話を聞くと、当然ながら皆さん被災者です。それではなぜここへ来たのか聞くと、
「被災者ではあるんですが、家は健在で中の片づけも終わったので、もっと困っている人の役に立ちたいんです」
と、口々に話してくれました。若者も大人も、年齢は関係なくみんな、こういった答えでした。
ボランティア受付に並ぶ人たち。圧倒的に地元の人が多い(23日(土)熊本市中心部)
地元紙・熊本日日新聞のこの日の見出しにこんな言葉がありました。
「負けんばい熊本」
被災地はすでに、手を携えながら復興に向けて歩み出そうとしています。